お問い合わせ 資料請求

ニュースロゴ

特別連載 宮澤靖代表理事が歩んできた道(中) | 2017年4月

米国研修時代、限界状態で生じた弱い心が
大失態を招く

3回にわたり、栄養経営の道を切り拓いてきた宮澤靖代表理事の歩みを、ご自身のお話から振り返る連載の2回目です。宮澤代表理事がアメリカで味わった大きな挫折についてお話しいただきました。

宮澤代表理事

栄養部門が担うべき役割を多角的に考えよう!

1993年、「本場のNSTを学びたい!」という熱い想いを抱き、研修を受けるため、単身、米国・エモリー大学医学部附属病院へ渡りました。研修先で所属したのは、臓器移植外科です。臓器移植は基本的に予定を組むことができません。ドナーとレシピエントがマッチングしたらすぐに移植しなければならないため、全症例がほぼ緊急手術となります。私の師匠は手術がある度に手術室に入ってしまいますから、その間の栄養管理は私が担当することになります。

あるとき、師匠が3日連続で手術室に入りっぱなしになりました。その間、私はほぼ徹夜で師匠が担当する患者さんの輸液の処方をチェックしていました。3日目、まばたきをするとそのまま寝てしまいそうになるほど、気力も体力も限界状態。そこでつい、「師匠が立てた処方だから、細かくチェックするまでもないだろう。ノーチェンジで処方を切っても誰にもわからない」と怠け心が芽生えました。上がってくる輸液の処方をすべてノーチェンジで切って、「これでやっと眠れる」と家に帰ったのです。

「病態変化を追い続けるのがわれわれの仕事」

翌朝、すぐに師匠に呼ばれ、輸液処方の山を突きつけられて、「これらがノーチェンジである理由を説明せよ」と言われました。答えられるわけがありません。それでも厳しい目で問い詰められるので、正直に「師匠が不在のときにチェックした自分の判断が正しいかどうかわからず不安だった。それでも3日間、チェックし続けるうちに疲労が極限となり、師匠の処方なら大丈夫だろうと、休みたい一心でノーチェンジにした」と答えたのです。すると師匠はある患者さんの経過表を示し、「血液検査値がこれだけ動いているのに、輸液の処方が変わらないのはおかしい。病態は日々刻々と変化する。その変化を追い続けるのがわれわれの仕事ではないのか?」と叱られ、「もういい。今日は帰れ」と部屋の出口を指しました。

「すみません。頑張ります」と食い下がったのですが、師匠は「とにかく帰れ」と言うばかりです。渋々帰り支度をして部屋を出ようとすると呼び止められ、「更衣室まで白衣を裏返して行け」と言われました。白衣の上腕に大学の校章とNSTのチームロゴが付いていたのです。そして、「うちのチームはやる気のないメンバーはいらない。このまま日本へ帰ってもいい」と言いました。このとき、初めて涙が出ました。

そのまま下宿へ帰ると、部屋の隅で泣きなら、ずっと考え続けました。「このままでは日本に帰されてしまう。せっかく苦労してアメリカにきて、勉強できる環境があるのに、自分の怠け心のせいで何も学ぶことができず中途半端なまま日本に帰される。それで本当にいいのか? 」と。

翌日、師匠のもとに行き、「どうかチャンスを与えてほしい」とお願いしました。すると師匠は、「もう一度、1からやり直せ」とチャンスを与えてくれました。師匠に叱られたのは、後にも先にもこのときだけです。(続く)

|  | 2 |  |